思いのほか勉強が楽しい。学生時代より楽しい。

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勉強は楽しい楽しい!もう最高。

大学生活が始まって1ヶ月弱。
たぶん勉強するのは楽しいだろうな、と思っていた。
30代後半になってから、資格のために勉強らしい勉強をしたことが何回かあったけど、毎度楽しかったのだ。

だからきっと、楽しいだろうと思っていた。

いざやってみると、予想以上に楽しかった。
最近は、このブログを愛読してくださっている客様から「勉強、どう?」って聞かれると、「最高です!私の唯一のストレス発散となりつつあります」と答えている。

たいがい、「車の運転も料理するのも唯一のストレス発散って言ってたじゃない…」というツッコミを受けるのだけど。

だから、唯一のというのは明らかに誇張表現なのだが、予想していたよりずーっとずーっと楽しいのは事実だ。
学生時代の勉強よりよほど熱心にやっている。
ずーっと楽しい。

なぜだろう。
いくつかの仮説を考えてみた。
検証しようがないので、仮説を立てただけで終わりそうだけど。

「目標があるから」かもしれない

楽しい理由の一つは、目標があるからかもしれないな、と思う。
私には心理学を学ぶための動機、理由、必要性がある。
お客様からカウンセリングを行うことを求められているのだ。
しっかり学ぶ必要がある。
そして、カウンセリングという目標に沿って科目を選び、また、学んだことにまつわる専門書を読んだりもしている。

学生時代も、専門書は読んだ。
でも、学生時代は、目標が見えていなかった。
数学科に居たけれど、数学の専門書から何を学ぶべきか、わかっていなかった。
当たり前だ、数学が楽しいから勉強していただけで、何かに役立つなんて思っていなかったんだもの。

それはある意味、正解。
数学は「学問の女王」だから、それそのままでは何かの役に立つわけがない。
でも、当時の自分にアドバイスするとしたら、「楽しいから勉強していたのなら、徹底的に数学を楽しむ方法を学ぶべきだった」っていうことかな。
教授の中には、数学を楽しんでいる人も居たわけだし。
そういう人から、数学の楽しみ方を学ぶべきだったと思う。

熱心に打ち込むのは、楽しい。
いやいややるよりずーっと楽しい。
「何をよく知るべきか」が分かっているなかで、一生懸命に勉強するから、次々に分からないことが出てくる。
そこをカバーするために勉強する。
その連鎖が楽しい。
イヤイヤやると、イヤイヤな気分が積もっていくだけだ。
イヤイヤ学んだ知識なんて、脳細胞は受け取りを拒否する。
つまり忘れる。
やってもやっても覚えられないからますますイヤになる。

もしかしたら社会を覗いたから、かも?

もう一つ思いついた理由は、「社会の様子を覗いたから」ということだ。

学生時代は、学校しか知らなかった。
まぁ、当たり前だけど。
社会…っていうか。
社会を全然知らないわけじゃない。
家族だって社会だし近所の人も知っているしアルバイトだってしたことがある。
でも会社とか仕事とか出世とか老後とか、知らない世界がとても広かった。

だからまぁ、言ってみれば、五里霧中な中で……真っ暗闇で、周りを見渡せないし、そもそも周りが見えたことが一度も無い。
周りがどんなふうになっているのか知らない。
でも、今居るところにはずっとは居られなくて、いつか、周りの世界に出て行かないといけない。
知らないのに行かなきゃならない。
だから闇雲に、片っ端から、役立ちそうなものを頭に叩き込んでいく。
でもそれが本当に役立つかどうかは分からない。
訳知り顔の大人はもっともらしく、「学校で学んだことで社会に出てから役立つことなんか何もない」なんていう。
でも親や先生は「勉強したほうがいい」という。
どれが本当か分からない。
闇雲に、理由も分からず勉強を続けて10年強。
…とまぁ、そんな状態だったわけだ。

そもそもどうやったらモチベーションなんて出てくるんだ?
何を勉強したらいいんだ?何が役立つんだ?
わけが分からないんだからしょうがない。

でも今は違う。
社会にでてみて、分かったこと。
学校で学んだことが、「何の役に立つのか」なんて一概には言えないことが分かった。
でも、何かの役に立つことも分かった。
闇雲に、理由も分からず、でも続ける…そういうのも意味があるんだな、ということが分かった。
そう考えると、そこらへんが分かったのが30代に入ってからだから、こうして今になって大学に入ったのは、大きな価値があるなぁと思う。

学生時代は、どことなくやらされている感があった。
自分が希望して大学に入った…なんだけれども、やらされている感じがあった。
このレベルの学力があれば、大学に行くべきだろう、という…自動的に次のステージが決まってしまうような、他の選択肢があるんだけど選ばせてもらえないような、そんな雰囲気があった。
いや、大学は行きたかったんだけど。
でも、どことなく、「大学へ行きたい」といわされているような…分かるだろうか、あの、自分の意思を装う義務が課されているような雰囲気。

そこへ行くと、今は完全に、自分の意思で大学に行っている。
行かなくてもいいのに行っている。
(通信教育だから”行っている”は厳密には間違いだけど。)
だからいいのかもしれない。

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この記事を書いた人

きくちのアバター きくち トマト行政書士事務所 代表

新潟市在住。トマト行政書士事務所代表。
家族はおちびと犬2匹、クサガメ1匹。

1日の移動距離が30km程度までならクロスバイクで移動。
それ以上は自動車で、新潟県内外を走り回り中。

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