勉強せず「検索すればいい」って本気で思ったら危険だと思う。
本気でそう思ってる人も居るらしいけど…
知識と情報の大きな違いは、それが脳の中にあるか、それとも外にあるかということだ。
最近は情報がすぐに手に入る。
手に入れようと思っていなくても、勝手に入ってくる。
そのせいかどうか分からないけど、情報を手に入れることへの敷居が低くなっていることは確かだ。
結果、「情報なんてすぐに手に入るんだから、わざわざ勉強しなくてもいい」と言い出す人も出始めた。
「検索すればいいじゃないか」
だ、そうだ。
「勉強なんて無駄だ、勉強しないで実践から入るのが一番だ」という意見も、ごくふつうに飛び交っている。
さて、実際はどうなんだろうかとちょっと考えてみたい。
記憶は無駄か
日々、行政書士として働いていると、許認可ひとつを考えても、いろいろなケースに遭遇する。
ふつう、行政等に許認可の申請をするには、行政庁が定める要件というものがあって、それにおさまっていればOKとなるし、そうでなければNG…許認可がおりないことになる。
たいがい、行政書士に依頼してくる場合は、要件にあてはまっているかどうかが微妙なグレーゾーンであることが多い。
そもそも「ごく普通の」ケースであれば、なかなか依頼されない。
通常依頼されるのは、以下のような場合だ。
- 大至急
- イレギュラー
- 手が回らない
3番は、「ごく普通の」ケースであることが多い。
でも、たいがいは1と3のコンボ、もしくは2と3のコンボ。
1&2&3という依頼もある。
大至急のケースでは、ごくありきたりなことまでいちいち調べ確認している時間は無い。
脳内にある知識を元に手続きを進めていかないと、間に合わない。
要件にあてはまるかどうかが微妙な、グレーゾーンにあるようなイレギュラーなケースでは、イレギュラー部分をよく調べ交渉して対応することになる。
交渉?そう、行政庁に確認し、知識を総動員して交渉するわけだ。
「この部分は微妙なんだけど、こことここでこういう取扱があるんだから、この部分もこういう解釈でいいですよね?」
という具合。
そもそも幅広く知識をもっていないと、なかなか対応できない。
基礎となる部分を調べながら対応しているレベルだと、その先の応用はけっこう難しいんじゃないかと思う。
理解
知識をただ暗記して知識として持っているだけでは駄目で、深く理解しておく必要がある。
理解していない知識は、ただの丸暗記に過ぎない、いわば「情報」に近い存在なわけで、自分で使うことができない。
そして、そもそも自分の頭に入っていない知識(つまり情報、自分自身の外にある存在)は、理解することができない。
たとえば数学で考えると、β+α=α+βっていうことを理解するには、そもそも+が何なのか、=とは何なのかが分かっていないと難しい。
+の意味や=の意味を調べながら、β+α=α+βを理解して使いこなすのは無理がある。
たとえば、全く法律について知らない人が不法行為を受け、「自分で何とかしよう!」と思いGoogleを検索したとする。
不法行為の損害賠償、民法709条と出てきて中を読むと、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負うと出てくる。
何とかしよう!法律を実際に使おう!という人が、これを読んで、「故意又は過失」の意味を調べたり、「法律上保護される利益」とは何か調べていったりして、はたしてその人は不法行為を受けたことについて損害賠償請求するところまでたどり着けるだろうか?
勉強が大切、というのは、正しく理解することが大切という意味なんだろう。
結局、検索して出てくる情報を使いこなすのは、自分に身についた知識というベースあってこそのことだ。
「小学校6年間で習う数学なんて、USB1本に入りきる情報量でしかない」とか、「だから学校で習うことは無駄だ」などとおっしゃっている方を先日見かけたのだけれど、情報量の問題ではない。
それが頭の中に入り、正しく理解され、使いこなすことができる状態かどうかが大切なのだ。
実践が重要の意味
そういう意味では、実践こそ重要というのも一理ある。
ただひたすらに文章を読み、文字の羅列を記憶するよりは、実践していくほうがより理解が深まる。
…というわけで、結論は勉強も大切、実践も大切、バランスが最重要という面白くもなんともないことになってしまった。うーん、残念。
でも、「調べれば分かるんだから勉強なんて意味が無い」ということにはならない。
これだけは間違いないということがお分かりいただけると思う。