心理学とラベリング

血液型占いを根拠に、真顔で批判を展開する人って、なんだかすごいよね…。

結論。血液型占いはおしゃべりするのに使おう

占い全般、以前から苦手だった。
子どもの頃から苦手だった(子どもの頃は今以上にがちがちに頭の固い理系人間だった)。
その最たるものの1つが血液型占い。
苦手だ。

苦手といっても、ごくふつうに世間話としてする分にはいいのだ。
場がしらけたときに話題のきっかけに使うのは大好きだ。
「O型ですー」というと(実際O型)、たいがいおおらかだの大雑把だのといわれる。
当然、私はふつうの人間なので、そういう面もあれば、そうでない面もある。
きちんと根拠を調べたくなる質なので、血液型占いには数々の研究がなされた結果、何らの根拠が無いという結果が示されたことを知っているわけだが、いちいち指摘したりはしない。
大雑把な面を指摘したり思い出したりしているうちに、話が広がるので、それでいいじゃないかと思う。

苦手なのは、それを悪口に使うことだ。
ある人が、「○○さんが苦手」という。
別の人が言うには、「○○さんはB型なんだって」
するとある人が返事する…「あぁやっぱりね、わがままだしね」

書いていて鳥肌が立つ(笑)。
本当に苦手なのだ、こういう流れ。
でも、この日本に住んでいると、この手の話をよく聞くと思う。

「当たったこと」は記憶に残る

数学科卒だというだけでなくて、私は大学で心理学を勉強している身でもあるので…
心理学的に、一応説明すると、「当たったことは記憶に残りやすい」のだ。

つまり錯覚の一種である。
「当たった!」ということは目立つので、より深く記憶されるというわけだ。

今回の場合、「B型でわがままな人」は記憶に残るということだ。
「B型でわがままでない人」は、「まぁそういう人もいるよね」と例外扱いされる。
そして、人間というものは、どこかにわがままがでることがある。
そういうときに、「あ!やっぱりB型だからわがままなんだ!」と思われるわけだ。

O型の私もそんな扱いを受ける。
私はけっこう几帳面といわれるのだけど、そういう話のときは「まぁそういう人もいるよね」という例外扱いを受ける。
そして、大雑把なことをしたときは、「あ、O型だし、やっぱりね」と思われるわけだ。
さらにいうと、私の性質についての説明は、大雑把な部分が誇張されたものが多い。
「O型の性質が当たった!」というわけで、より記憶に残りやすいせいだろうと思われる。
これが、大雑把という程度のラベリングなら、別にいいじゃないかと思うんだけど、「わがまま」っていうラベリングは、いやだよね。

イヤなラベリングを、根拠無くやるっていうのが、どうも苦手だ。

少数派いじめ

こうして眺めていると、いやなラベリングがされるのは、B型とAB型である。
B型はわがままで、AB型は変人らしい。
他にもあるのかな?どうなんだろう。

私が「O型ですー」って自己紹介すると、「意外!大雑把な部分もあるんですねー」と言われることがある。
内心<いやいや、血液型聞いただけで印象変えないでくれ>と思うんだけど(口には出さないけど 笑)、B型の人なんかこれが「わがままなんですねー」でAB型は「変人なんですねー」となるのかな?
…うーん。
最初から「大雑把であること」を期待されていたら、大雑把な行動が目立ち、より深く記憶される。
人間の錯覚あるあるである。
(ちゃんと説明すると、このように、実際には無関係な出来事の間に関連性を感じ取ることを錯誤相関という。)
同時に、B型の人は、わがままであることを期待され、実際にわがままなことをしたら、より深く記憶されるというわけだ。
私もわがままな行動をとることはあるんだけども、O型という理由で、そんなに深く記憶されないわけですな。

ところで、日本人に多い血液型はA型とO型だ。
つまり、少数派をいじめているという図式がなりたってしまう。

根拠が無いことが判明しているにも関わらず、ラベリングして攻撃に使う。
攻撃対象は少数派……

やっぱりどう考えても苦手だ。

どうせ占いするなら、楽しいのがいい。

ラベリングは怖い一面もある

ラベリングが有効なことだってある。
もちろん。
「あなたはこういうタイプの性質ですね」って心理テストを受けたことはあるだろうし。

その人を分かりやすく理解するためにラベリングをする。
あるいは統計をとって、性質ごとに分類をしてラベリングをする。
それはいいと思う。
もしくは、ラベリングを通じて、「そうかこういう性質もあるのか」と分かりやすくする。
意外な自分の発見につながるとか、周りの人の思考は自分とは違うんだからなかなか分かり合えなくて当然だと思えるとか、そういうことはいいと思う。

でも、極端なラベリングを1つだけポンとつけて、それでその人全てを表すのは無理。
考えてみたら当たり前のことなのに、ついつい「簡単」「楽」だからやっちゃうのだろう。
人間の脳の性質からしても、なるべく効率よく、手を抜けるところは抜きたがる。
いちいち物事の真理を追究していたらたいへんだ。
だから分かりやすさのために、ラベリングを行う……

でも所詮それは、ただのラベリングなのだ。
分かりやすくするための道具に過ぎないのだ。
あるいは、(人を理解するための)きっかけに過ぎないのだ。
ラベリングには根拠があるものもあれば、無いものもある。
別に根拠が無いからいけないとは思わない……ファイルのインデックスだって、赤や緑の色がついているけれど、色の根拠なんて無いでしょ?分かりやすくするためだけだ。
でも、その、根拠の無い色区分を、悪口にしちゃーだめだよね。
「あらあの人のインデックス、赤いの?どうりで怒りっぽいわけだわ!」とか…おかしいよね。

ラベリング効果

ちなみに、ラベリングには「ラベリング効果」というものがある。
これはちゃんと根拠ある効果とされている。

簡単にいうと、ラベリングされたものについて、ラベル以上でもそれ以下でもないと認識しちゃうというものだ。
本人も周りもそういうふうに認識しちゃう。
そして、そのラベリングに合わせて行動しちゃう…。

ネガティブなところでいくと、言霊とか、病は気からなんていうのもありますが。
「あなたは病気です!」というラベリングをされることで、本当に病気になってしまう。

ポジティブなところでいくと、肩書きが成長させる、なんていうのがありますね。
「社長にふさわしい行動」をしていったら、本当に立派な社長になったという。

自分でうまく、ラベリングをコントロールして、いいように使えればいいんじゃないかなと思う。
たとえそのラベリングが根拠の無いものであったとしても、自分のためになるのであれば。
例えば、自分で自分に「優秀な大学生」というラベリングをして、勉強に打ち込むとか…。
でも、根拠の無い悪いラベリングを周りから貼られて、ネガティブな効果が出ていたら、やってられない。
もしもネガティブなラベリングに触れそうになったら、一度振り返ろう。
本当にこれは根拠があるのだろうか。
ネガティブなラベリングをする意味があるのだろうか。
何回も言うけど、人間の性質なんてそうそう簡単に浮かび上がるものじゃない。
性格は環境や年齢で変化していくものだ。
たとえ根拠の無いラベリングであっても、目くじらたてる必要は無いんじゃないかなーと思うけど、楽しく役立つ方向にうまいことコントロールしよう。
自分にとって意味が無さそうだったら、ラベリングなんてばっさり切っちゃえばいい。

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