煮豆と合理主義と、クリエイティビティの回復

何でもかんでも急げばいいっていうものではない

うちのおちびは煮豆が好きだ。
しかも、黒豆の煮豆が一番好きだ。
スーパーマーケットで売られている、ビニル袋に入った調理済みのアレは食べない。
アレはたいがい甘過ぎる。
塩気も多い。
なんであんなに味を濃くするのか分からない。

だから、うちで作ることになる。

夏の間は豆売場を通り過ぎてくれるが、涼しくなってくると、おちびは豆を見かけると大きな声で「おかーちゃん、そろそろお豆食べたいねー!」という。
決して素通りはできない。
適当な返事をしつつ通り過ぎようとすると、ますますボリュームを大きくして「おかーちゃん、おいしそうなお豆たくさん売っていますよー!」という。

今週、仕事がけっこうつまっているから、夜も家であれこれしたいんだけどなぁ……。

だがしかし。
おちびの豆への食欲を抑えることは難しい。
購入することになってしまう。

浅い合理主義では、おいしい煮豆が作れない

煮豆するのに、スピードや効率を求めてはいけない。
気長に、弱火でじっくり作るのが煮豆だ。
すこしでも早く仕上げようと火を強め、沸騰させてしまうと、豆の皮がやぶける。
あるいは、豆がふっくらと膨らまず、しわしわのままになってしまう。

夜間、あるいは休日、時間をつくってごく弱い火でじっくりと煮る。
うちは台所に食卓もあるので、そこでお茶のんだり本を読んだりしながら、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。
たまに鍋を覗き、必要に応じて水を足す。
煮上がる時刻は、こちらの都合に合わせてもらえない。
火を強めても失敗するだけだ。
慌しい気分のときには、作ってはいけない。
煮上がる時刻は、豆の気分次第。

だいたい、火を強めて、うまく時間短縮できたとしても、せいぜい縮まるのは数分のことだろう。
貴重な休日の半日以上を費やすであろうこの大事業を、たかが数分縮めるために、失敗のリスクを犯して火を強めるだなんて、真の合理主義とはいえない。
せっかく途中までうまくいったのに、ほんのわずかに火を強めたせいで、皮がびりびりになったら、かなり落ち込む。
人間、焦ってはいけない。
つやつやふっくらな豆を煮上げることこそが、至上命令なのだ。
美味しくないものを作ってはイカン!

邁進と効率へのアンチテーゼ……ちょっと難しい言葉を使ってみました(笑)

日頃、こうして自営業などして仕事ばっかりしていると、どうしても事業に邁進してしまいがちになる。
つまり、常に効率を考えて、少しでも前に進もうとがんばり、勝手に自らに締め切りを作ってそれに追われる。
「邁進」などというと、いいことのように思われがちだし、実際に事業理念等で使われることの多い言葉だけれども、「まっしぐらに突き進む」ことが100%良いこととはいえない。
馬車馬のような目隠しをされた状態になってしまう。
視野が狭くなる。
他の世界のこと、自分が普段接しないような物事のことを忘れてしまいがちになる。

ハーバードビジネススクール等の研究結果からも判明していることだが、時間に追われるということは、クリエイティビティを失うということに等しい。
1日時間に追われると、数日はクリエイティビティが回復しない。
ビリオネア(10億ドルを稼いだ人)といわれる人たちは、時間に追われるというプレッシャーを一時的に弱めることができる脳の構造をしていることも判明している。
それだけ、事業にはクリエイティビティが必要なのだ。
時間に追われ、ひたすら効率を追い求める合理主義者は、事業に成功するのが難しいっていうことだろう。

そういえば、日本人は昔々から上記のことをよく知っていたんじゃないのか。
貧乏暇無し。
そうだよ。
貧乏人は暇が無いのだ。
暇を作れる脳の構造ができていないのだ。
昔から言われていたことじゃないか。

残念ながら私の脳の構造は、ビリオネアのように時間のプレッシャーを感じなくすることができない。
(むしろ、時間に追われないと動けないという悪い癖が…。)
誠に残念ながら、貧乏暇無しな脳構造をしている。
これをこのまま突き進んでいくと、クリエイティビティを失ってしまう。

だから、煮豆というのは、とても都合のいい作業なのだ。
時間のプレッシャーからの開放。
クリエイティビティを少しでも回復するための作業。
締め切りに追われ、毎日書類など作り続けていると、貧乏暇無しになるだけである。
ひたすら、「おいしいものを作る」を至上命令として作業していくうちに、時間のプレッシャーを遠くへ追いやり、クリエイティビティをちょっとだけ回復するというわけだ。

クリエイティビティの回復のために、煮豆をどうぞ。

蛇足。
私は「丁寧な暮らし」だの「毎日を特別に」なんてことには、一切興味が無い。
毎日はふつうがいい。
日々の食事は質素にふつうがいい。
毎日毎日、特別な時間を過ごしていたら、寿命が短くなりそうだ。
ただ、不味いものを食べて平気ではいられない。
それだけのことだ。
毎日ハレの日の食事をして、ハレの日気分で過ごそうだなんて思わない。
それから、手間をかけるのも本当は面倒で好きじゃない。
手間は少ないほうがいいけど、かといって手間を略して不味いもの食べるのはもっとイヤだな。

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