いま、地方で生きるということ(西村佳哲 著) 僕たちが親より豊かになるのはもう不可能なのか(リヴァ・フロイモビッチ 著)読後レビュー

先日、某仲の良い行政書士さんから、

「菊地さんは勉強しすぎて頭がおかしくなった」

と言われた。
あぁあ、なんでばれちゃったんだろう。頭がおかしいの、隠していたのにな!(笑)

さてさて。
今日書く内容は、もしかしたら、勉強しすぎて頭のおかしくなった様子が炸裂しているかもしれない。
でも、いいのだ。
こういうことを考え、あれこれ想像(妄想)するのが楽しいんだから。

読んだわけ

今日取り上げる本は2冊もある。

なんで2冊あるかというと…昨日・今日と、放送大学で面接授業を受けてきたからだ。

面接授業というのは、通常の通学する大学とおなじように、学習センターで講義を受ける。
ただし日程は土日の2日間の集中講義で、1単位取得できるということが多いようだ。
でも、もしかしたら、私が知らないだけで、他のスケジュール編成もあるのかもしれない。

それでね。
講義を受けるってことは昼休みがある。
昼休みがある!
なんて素晴らしいんだろう。
日ごろの私には、昼休みが無い。
お昼ごはん?そんなものは食べない。
食べると眠くなるから。
休憩しないで、朝から晩までフルスロットル…は言いすぎだけど、アクセル8割ふかし程度で働き続ける毎日を過ごしている。
だから、昨日&今日の昼休みは、久々に集中して読書できる最高の1時間だった。
それぞれの1時間で、1冊ずつ読めたというわけだ。
(ふつうは1時間で1冊読めないと思う。あんまり久しぶりに昼休みを過ごしたのでうれしくて、集中力が通常比3倍だったんじゃないかと考えている。)

なぜこの本を読んだかというと…疑問だから。
常々、疑問に思ってきたことだから。

今日の読書は、買った本ではない。
図書館で借りてきた本だ。
おちびを連れて、図書館へ行った。
本当は違う本をかりるために行ったんだけど…たまたま近くの書架にこの2冊があって、目にとまった。
気になるタイトルの本。
いや、そもそもこの2冊、以前からタイトルは聞いており、うっすらと評判になっているらしいことも感じていて、気になっていた。

もっとも。
「最近の若者はわがままだからすぐに仕事を辞めるし、だからフリーターが増えているんだ」
……というカビの生えた勘違いをしている人でない限り、この2冊のタイトルは気になるんじゃないだろうか。
たとえ都心に住んでいたとしても、「いま、地方で生きるということ」は気になるんじゃないか……違うだろうか。
私は都心に居た頃から気になっていた。
でもそれは、私が新潟生まれだから気になるんだろうか?
どうなんだろう。

とにかく、気になる本は読む。
読んだ理由といえば、結局、それだけのことだ。

結論

例によってこのブログでは、書評は書かず、読んだ結果から考えたことを書く。

ちなみに、1冊目の本は、ただひたすらに、インタビューやデータを紹介する内容だった。

賃金は安く、雇用は不安定で、税金は高いのに社会保障は減る。これではあまりに不公平ではないだろうか?
これは「史上もっとも高学歴なのに職につけない世代」の物語である。

2冊目は、地方に生きる、パワフルな人の紹介。

「どこで暮らし、どんなふうに生きてゆく?」
「都市」に対する二項対立ではない、「地方」とそこに生きる人をとらえる、本邦初の本。

こんな2冊を読んだ結果、考えたことを、なるべく整理して書いていこう。
2冊を材料にしてどんなことを考えたか、というと……

自らの経験より

…僕たちが親より豊かになるのはもう不可能なのかと考えると、ごくふつうにしていたら、つまり同じことをしていたら、親より豊かになるのは難しいといわざるを得ない。
それはもう、間違いないと思う。
あの本(1冊目)がどんなデータを元にして書いているのか、それが統計として正しいのかどうかは、よく検証する必要があるだろう。
ただ、ふと自分自身のことで、思い出したことがあったので、「感覚的に間違いないと思う」のだ。

私が新卒で入社したのは、とある上場企業だった。
初めてのボーナスの時期に、先輩…10歳ぐらい年上の先輩から、「バブルの頃を知らないなんてかわいそう」と言われた。
先輩が教えてくれるには、ボーナスの額が、5倍ぐらい違ったらしい。

つまり。
当たり前のことなんだけど、景気によってボーナスは違う。
能力による差よりも、景気による差は大きい。
仕事の出来具合なんて、けっこうどうでもいいのだ。
先輩が言うには、「あの頃は昇給も大きかった」とのことだった。
給料を左右するのは、能力よりも世の中の景気によるところが、ずーっとずっと大きいというわけだ。

もちろん、景気が100%なわけではない。
努力しだいで会社を興して大きくする人も居るだろう。
ただ、「全く同じことをして」どちらが豊かになるかといえば…書くまでも無い。

他にも、思い出したことがあった。

私の世代は恐らく、大卒の就職氷河期を初めて味わった世代ではないかと思う。
大学を卒業したのに、就職先が無い。
その就職の厳しさは、今と比べてどうなのだろうか。
それは分からないけれど…ただ一ついえることは、私の頃は「就職氷河期のロールモデルが無い世代」だった、ということだった。

うちの親は、就職活動する私に怒り狂った。
大学を卒業したのに就職先が無いなんて、私がよほどのダメ人間なんだろう、というわけだ。
なんで大学を出るのに就職活動をするんだ。
そんなにあちこち行かなきゃいけないものなのか。
就職先を紹介してもらえないのか、大学を出ているのに。
就職への疲弊と、親への疲弊と、先行き不透明感で、疲労感MAXだった。
(とはいえ私はこの頃から”頭がおかしい”人だったので、履歴書を出した企業からお断りされても気にする暇がないまま、履歴書50通ぐらいだした。全部手書き!あの頃は活動的だったなぁ。そして内定GET。当時は履歴書5~10通ぐらいしか出さず、内定に至らず、落ち込む人が大半だった。だって、つい最近まで、履歴書イコール内定だったんだから。)

…そんなふうにして就職した上場企業だったが、決して給料は高くなかった。
昇給も少なかった。
既に、「そういう時代」だった。

親より豊かになるのが、もう不可能なのかどうかは分からない。
でも、少なくとも今現在、親と同じように稼ごうと思っても、同じように働いて稼ぐことは難しいだろう。
そして、今までの賃金の差は、なかなか埋められないだろうから、生涯での報酬額は、親のほうがどうしても多くなってしまうだろう。
親の世代…団塊の世代やバブルの頃、景気がよかった頃…の大卒は、ほとんど就職活動をしなくても就職先がいくらでもあったらしい。
内定をいくつももらうのが普通であったらしい。
最近はどうなんだろうか。

学歴、お金

このブログでは、勉強する意味について、たまに考えている。
この意味を、「勉強の金銭的な価値」と言い換えるならば……。
金銭的な価値のある勉強は、かなり、限られるのではないか。

これを「学歴のコストパフォーマンス」と捉えなおすと、さらに、明確になってくる。
どれほどの学歴であれば、コストパフォーマンスが良いと言えるだろう。

そうだなぁ…例えば、医師になるには、国家試験に合格しないといけないし、医学部も出ないとダメだから、医師になるという目的のために医学部がある大学を出るのであれば、価値があると思う。
じゃぁどれだけ、医師になって稼げるのか、大学時代の学費と比べてどうなのかといわれれば、どちらもケースバイケースで金額が違うだろうから、簡単に断言できないけれど。

○○になるため、という目的がある場合は別として。
ひたすら、金銭的な価値を求めるのであれば、学歴に果たしてどんな意味があるのかといわれると…難しい。
知人に、奨学金という名の学費ローンの支払いに追われているのだけれど、大学卒業後、結局仕事がなくて、いろいろな派遣社員をしている人がいる。
この知人だって、バブルの時代に卒業していれば、就職先を複数から選ぶことができたかもしれない。

大学で勉強する意味(金銭的価値)があるのかと考えると、決して、あるとは断言できない。
じゃぁ大学を卒業しなかったら、もっと就職先が狭まるじゃないかといわれると、まったくそのとおりなのだけれど。

昔よりも給料が安くて、社会保障は減らされて、ヘタすると社会保障なんてなくなるかもしれないという時代。
学歴さえあればと一生懸命勉強しても、結局、「学歴だけじゃ…」といわれてしまう時代。
「学歴じゃなくて、何を学んだかが大事」なんてことも言われるけれど、じゃぁ何をどうすればよかったのか。よく分からないままだ。

価値観が変わる、社会が変わる転換期

この先どうなるんだろう。

一つ思うのは、「お金」とか「学歴」って、標準語的ものさしだよなぁ、ということだ。
「お金」も「学歴」も、どちらも…お金は政府が発行したものだし、学歴だって、政府が定めた学校を卒業したかどうかということだ。
中央集権的なものさしといったらいいのだろうか。

今後は違うものさしが、大事になっていくんじゃないだろうか。

お金というものさしが、今後どういう動向をするのかなと不安に思う。
ここ最近の日本では、そんなに激しく貨幣価値がおかしくなったことはない。
でも今後はどうなんだろう。
だってね、よく考えてみると、まず世の多くの人が恐れているとおりに年金が破綻したとして…いや破綻しないまでも、「とてもじゃないけど年金だけでは絶対に暮らせない」となったとする。
年金と貯金だけでは暮らしていけないのが普通になったとき、お金というものさしはどう動くんだろう。
生活保護を受ける?高齢者の大半が生活保護を受けるようになるの??まさか!

近所の家を見回してみると、相続手続きをしないのか、相続する人がいないのか、空き家だらけなのに気がつく。
どんどん建っていくアパートは、空室が目立つ。
ビルは、誰も借り手がおらず、空室の事務所がたくさんだ。
空き家と空室だらけの現状を見ていると、不動産価格がどうなるのか気になる。
そもそも、この先、土地を買って家を建てる人が増えることなんてあるのだろうか。

学歴。
何のために勉強をするのかと聞かれたときに、どう答えればいいんだろう。
やっぱり、学歴に金銭的価値を求めている部分もあると思う。
学歴を積み重ね、社会が求める人材となり、仕事をしてごはんを食べていく。
当たり前のことだ。
だが、学歴があっても食べていけない時代が来ている。
高齢化社会で若者が少ないだの働き手が足りないだの言っているのに、なぜか、働く場所もないのだ。
満足にごはんを食べていけるような仕事が少ないのだ。
せっかく大学を出たところで、大学を出なければならないような仕事は、そんなにたくさんないのだ。

人々はどう動くのだろうか。
政府はどう動くだろうか。
国民の何割もが、生活保護を受給するようになったら……お金の価値が変わるのが当然になるのではないだろうか。

推論の上に推論を塗り重ねている妄想なので、勝手に不安に思うだけなんだけども。

このままじわりじわりと時代が移っていくとしたら、今後は、より生きるということが大切になっていくんじゃないかなと思う。
生きのびるためのスキル。
自然の中のサバイバルスキルに限った意味ではなくて。
この社会の中で生きのびるためのスキル。
幸せになるスキル、といってもいいかもしれない。
「幸せになりたい!」といってがんじがらめになるんじゃなくて(→いま、地方でいきるということにそんな表現があったので引用)、まず能動的に生きて、気がついたら幸せになっているようなスキル。
たいがいの環境で楽しんで幸せになれるスキルといえばいいか。

物の文化、お金の文化の時代は、そろそろ、終わるのかもしれない。
そんなことを妄想しつつ……さて頭を切り替えて、お客様への請求書を作ろう!


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